善意

 朝日新聞の人生の贈り物を読んだ。樹研工業松浦元男社長(73)が高校中退、仕事転々、高校復学。そして大学に行きたいと言ったら、バイト先書店の木和田さんが、学費は貸してやる、給料から返せばいいから進学しろと進めてくれた。それで進学できた。若い僕を疑いも試しもせず信じて支えてくれた。それで人の善意を心底から信じられる人間になりました。それで、若者を信じられると語っている。

 人の善意で助けられ、その善意を本物にし、それ気持ちを心と行動でを次の若い人に伝えられる人。私も何かを伝えられる人になりたい。

株式会社樹研工業は、世界的プラスチックの精密加工業。雇用採用は先着順、定年制なし。資本金4,400万円売上27億円従業員70名(パート含む)

勝負

 日本武道館に関東実業団剣道大会を見学した。試合は団体戦。五人制で戦う。大学の剣道部で活躍した多くの選手が社会人として、会社の名誉を掛けて戦っていた。チームの勝敗は、五人制の最後の大将戦で決まる。大将はやはり、そのチームで一番力のあるものが、座る。

 大将戦は、絶対絶命の場面である。ここを勝ち抜ける者は、日頃の生活がきちんとしている者と思った。会社業務を行い、就業後時間を割いて練習を行い、健康管理に努め、毎日新たな業務に邁進する。その精神力の強さが、相手に打ち勝つ。その姿を見た。館内の熱気とは異なる、快晴の北の丸公園の初夏の緑を目にしながら、帰宅した。

五観の偈

 京都に出張した。仕事は上手くいかなかった。いま一歩踏み出せば成功するのに、そこで考え、躊躇し、悩む。其れが成功へ繋がらない。「短剣なんで憂いべき、一歩これを加えるべき」である。債務整理も、生活を立て直そうとの、その一歩が問題を解決させ、生活改善に進む得るのかも知れない。

 そんな反省の中、京都で精進弁当を買い、帰京した。そこに五観の偈(げ)があった。仕事は失敗したが、なお生きているのである。

 「一には、功の多少を計り、彼の来所を量る。」「二には、己れが徳行の全欠を忖って供に応ず」。「三には、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とする。」「四には、正に良薬こ事とするには形枯を療ぜんが為なり。」「五には、成道の為の故に今此の食を受ける。」

 この五観の偈を思ったとき、立っては食事は出来ないと思った。

子供と老人

 昨日ある団体のバザーに家族一同が参加した。私は、1歳9ヶ月の孫の子守り役であった。この女の子は、焼きそば食べたり、味噌田楽を舐めたり、滑り台に行ったり、壮年には大きな行動を強いられた。会場は、団地に近いので大変な賑わいであった。隣接する公園を子供たちが駆け回り、幼子は泣き叫び、工作教室では小さな椅子作りが汗をかきつつ行われていた。地震体験車もあり、不安と遊び心のなかで子供達が揺られていた。新緑と同様、活気と若さと未来に満ちていた。

 子守の前、86歳の兄と84歳妹との兄妹の会話に偶然立ち会った。兄が、頂いたワラビを妹に御裾分けをしたのである。暫くぶりに、兄妹は逢った。会話はたわいないものである。でも、戦争を乗り越え、家庭を築き、子供を成長させ、その妹はこの10年来一人暮らし。そのたわいない会話と室を流れる風に爽やかさと重みを感じた。兄は、長生きすることが社会にとって正しいことなのかとふともらす。哲学的言葉。

 産経新聞に曽野綾子が、死にそうにないとしか思えなかった上坂冬子の事について書いている。彼女は素晴らしい名言を残したと言う。一つは「東京の地価が高いのは魂の自由代が含まれているからだ」東京は誰がどんな生き方をしても一切、口出しをしない土地。彼女にとっては、この自由こそ人間性を保持するための、社会構造上、必須条件だった。そして、上坂は、もうひとつする仕事があると数年来言っていたその名言は、「死ぬという仕事を果たす」ということである。そして、曽野はこう結んでいる。私は彼女の死を少しも悼んでいない。これだけ自由に羽ばたき、上坂冬子という名前を聞いただけで皆が笑顔を禁じえないような魅力的な生涯を、誰もが送れるものでないからだと。

 子供の活発な姿、長生きは本当に良いものかと問う者、そして、死ぬという仕事を果たすという人。そこには生がある。