仙厓和尚伝

堀和久著「仙厓和尚伝」を読む。出光佐三が和尚の絵を好んで蒐集しているのを知ったからである。禅修行の厳しさを知る。不立文字。厳しい修行の道において自分で禅の精神を獲得する。法律の勉強も同様のところが有る。寸暇を惜しんで勉学に努めなければ正しい法律の適用は出来ないかも知れない。

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色は匂えど

新聞の切抜きの整理。日経新聞文化欄に「色は匂えど…」と題してドイツ在中の四元康祐氏が新いろは歌を書いている。そこに、昔習った空海とも柿本人麻呂作と言われる諸行無常を謳い上げたいろは歌も有った。

「色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならん有為の奥山けふ超えて浅き夢見じ酔いもせず」。馬齢を重ねると、心に沁みる。

庭野欽司郎

昨日、立正佼成会参与の庭野欽司郎氏の話を聞く機会が有った。立正佼成会の開祖庭野日敬氏の次男。開祖は十年間法華経を真剣に学んだ。開祖は、自分は預言者ではなく、努力の人だと言ったとき、父は本物だと思ったとの話を聞いた。一大教団を創った日敬氏が信じた法華経。少しずつ読んでみたい。

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森本和夫

森本和夫著正法眼蔵入門(しようほうげんぞうにゆうもん)を読む。1日30分間、固い本を読む習慣を造るため。
 正法眼蔵の第一行

 諸法の佛法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸佛あり衆生あり。

 訳

 すべてのものごとを仏道の立場である「正しくものを見る道」の上から見るとき、その一々は真にそのものごと自らのありのままを現在しているから、迷い悟り、修行、生、死、諸仏と衆生をありのままに見、明らめるのである。

 この一行を、自分で自得できればと著書にはある。数十年禅の修行をした人にも難しいともある。
 
 

小池龍之介

 小池龍之介さんの記事が毎日新聞に有った。彼の言葉。
 「仏道とは本来、自分の心を見つめて心を鍛錬し、心の癖を乗り越えること。それによって悟りを開くことがすべて」「精神的に弱い人間ほど他人を助けて、立派であるふりをしてしまう」「思考を焼き切った」「心の乱れを見切っては捨てる」「一生懸命にやるためには独りの力を蓄えることが必要。部屋で本を読むでも、公園のベンチに一人座るのもいい。孤立と直面する時間を作ってほしい」
 孤立に直面し、山中を歩く事によって悟りに進むのか。

一服どうぞ

 産経新聞。千玄室氏の一服どうぞを読む。節分は、自分の心の中にいる悪い鬼を追い払い、世の中が浄化されるように努力する意味もあと書いてあっる。シュリハンドクという物覚えが悪く釈迦の教えを理解できない弟子に、釈迦は「われチリを払わん、われアカを除かん」という二句を授けた。そこで毎日その言葉とともに掃除に専念修行して、年を経て悟った話も書いてある。
 私も毎日チリをはらい、アカを除く生活をして行きたい思う。それは、簡素な生活に通じると思うるから。

聖徳宗管長大野玄妙さんの話

 1月12日毎日新聞の夕刊。「この国はどこへ行こうとしているのか」特集ワイドに管長さんの話が掲載されている。
 聖徳太子の言葉に「諸悪莫作(しょあくまくさ)」「諸善奉行(しょぜんぶぎょう)」がある。悪いことはせず、いいことをせよという意味。この意味を受けて、管長は語る。「善を行うことは難しいですよ。ものの命をちょうだいしていかなければ生きていけないわけですから、何をしてもどこかで悪いことをしていることになる。でも、その中でいいことをしょうと思い続ける、努力をすることが重要なのです。私はこう思っています。せめてきょう一日、悪いことといいことを並べた時に、一つでも善が上回ることを目標に生きていきたいと」
 一日一つ善いことが上回れば、365日で365回になる。このことが生活かも知れない。

正月

 お目出度う御座います。
 昨日から末木文美士著「仏典をよむ」を読み始めた。その一節
 
 仏の死を描く遊行教が、そのいちばんの活動の地から出発し、臨終の地へと向う旅として示されているのは、日常の生から非日常の死へという移行を示している。生から死への移行が旅という形を取るのは、歌舞伎の道行きにまで共通するもので、興味深い。そもそも旅ということは、日常の中の非日常を、生の中に死を現前させる行為である。西行、一遍、芭蕉ら、旅の達人の魅力はそこにある。仏もまた、その弟子たちとともに一生を旅に過ごし、一所に定住することを許さなかった。
 
 一休禅師の歌

正月は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。
生を更に大切な年にしたい。

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一服どうぞ

 産経新聞に千玄室の一服どうぞに、禅の公案に「婆子焼庵」の話があった。この公案の解答をある女性の言葉で解説している。「人間は、堅うても軟らこうてもあかん。その場をうまく切りかえせる器量をもたなねばなあ。作物でもそうしてやらないと。自然の味を大切にしないとね」
 そして最後に「懈怠比丘不期明日」(げたいのびく、みょうにちをきせず)で擱筆している。上の意味は、-今日この瞬間を大切にすることによって過去現在未来がある。今日を大切に生きぬかねばならないとのおしえであるー
 怠惰の戒め。今日の「生」が未来に通じ、過去に通ずると思う。
 

寺よ、変われ

 日本には8万を超える寺がある。それは約2万カ所の公民館よりも、約4万軒のコンビニ、同じく4万ある学校(小・中・高)よりもずっと多い。そして20万人にも及ぶ坊さんがいる。この方丈さんが変われば、大きな力になり社会が変わると高橋卓志師は語る。

 大乗仏教は言う、「おのれ未だ渡らざる前に一切衆生を渡す」と。大乗仏教は、まさに人々の「苦」と向き合い、それを救済する慈非行を旨とする。つまり、「苦」とは「人間存在に内在するもの」であると捉え、「生老病死」という人生のプロセスに必ずまとわりついてくる「苦=四苦」を視ながら、それを滅することを使命とする宗教なのだ。と書いてある。

 2万人いる司法書士も変化すれば、社会も変わる。

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