心にナイフをしのばせて

被害者保護に関する本を読んでいた。参考本として奥野修司著「心にナイフをしのばせて」が有った。この三日間で読んだ。重い本。いじめとは、殺人とは、一人の死は家族に何をもたらすか、その家族は何と向き合い生きて行けばよいのか、重くのしかかる時の流れ。人生とは何なのかと、考えさせられた。犯罪防止や、自死防止に役立つ活動もしなければとも思った。

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ビックツリー

ビッグツリーとは
 家族と共に生きる人生では、病気、事故、仕事問題、人間関係など、いつ何が起こるかわかりません。もし、そんな不測の事態が起きても、「これま人生の一部」とすべてお受け入れ、強さと優しさ、希望を胸に明るく生きていきたい。
 外から見えない根っこには自分自身の不動の信念を秘めながら、家族愛、仕事への熱情、社会・人々の深い関わりを幹・枝葉とし、風雪に耐え凛と立つ大きな「父の樹」、それがビックツリーです。
 佐々木常夫著の「ビックツリー」より

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人口減少

 日本経済新聞のゼミナール、人口減社会の未来図の記事がある。2004年1億2776万人の人口が、同年から毎年人口減少していると言う。09年には7万人が減少した。55年には9千万人100年後には半数になるかも知れないという。
 現実に団塊の人々が加齢して行く姿を見る。生活環境、家族、地域が少しづつ変化している。10年単位で考えた時、それは大きな変化が表れてくる。
 今日仕事を粛粛と行うとともに、このような日本社会の大きな変化を考え、5年先の事、10年先の事を考えていかなければならないと思った。大変な事ではあるが。

希望

 日曜日、溜まった新聞の切抜きを整理した。「希望学」を研究している玄田有史教授の記事。希望とはなにか、鉄の町岩手県釜石の繁栄と挫折を通じて研究した。教授は言う。希望や信念はそれを持つ人から周囲に広がる。一人でも希望を持てばそれが伝わる過程で実現性を高めることが期待できる。
 家庭の経済が苦しくとも、家族の一人が希望と信念を持てば、実現へと進むと思う。50年前の日本はそうで有った。現在も同様だと思う。世界化している現在、雇用・賃金等、全てにおいて競争は激しくなる。しかし、希望と信念を持てば、道は開けるものと思った。

相続

 相続に関する家庭裁判所への相談数は10年前の倍である。兄弟2人。30坪程度の土地建物が残る。兄家族が二世帯住宅として土地建物に住みむ。弟家族は、アパートに住む。弟は、土地を売って、半分けてくれと言う。弟の相続分は二分の一。家庭裁判所の調停→不調→審判→納得せず→地方裁判所へ提訴との流れる。それぞれの妻を含んだ骨肉の争い。現実の話。相続というものが、どうゆうものか、私たちも再勉強しなければならない。相続のあり方も、その国の一つの文化であり、国の維持発展の一面である。

NHKのど自慢チャンピオン大会

 NHKのど自慢チャンピオン大会を見た。「海雪」に始まり、「君は薔薇より美しい」で終わった。全国代表15名が歌った。歌というものを満喫した。
 各代表者のビデオが流れ、その後、歌が有った。家内が、皆さんに素晴らしい家族があると言った。家族が代表者を支え、それが歌詩と歌唱力に表れて、聞く者の心に響く。
 優勝者は、「契り」を歌ったホベルト・カザノバさん。ブラジル人。日本人の妻が子供を抱きながら泣いていた。結婚までいろいろ有ったのかも知れない。債務整理。家族に秘密でという依頼がある。私は、家族の支えが必要と更に強く思った。

会話

依頼者と話した。給与が減額された。それに伴い、この状況に対して、奥様と話し合わなかった。不足分を消費者金融で補った。それが、奥様の知るところとなり、意見の衝突となる。離婚から別居。子供さんは三人は奥様と住む。自分は、家賃4万円のワンルームで一人生活。ただただ借金の返済に追われる。心は病む。

先ず、任意整理で入り、個人再生か、自己破産も視野に債務の整理に入れることを助言し、納得して頂いた。
家族のために働いてきて、一人で電燈を入れる生活。耐えると思うのか、これが幸せと思うのか、私には分からない。しかし、借金に追われる病む心は救いたい。

自己破産決定

 2年半に亘り債務整理を行ってきた女性が、今日裁判所で自己破産の審尋が有った。法廷の入口まで付き添った。
 不動産の一部所有があり任意整理で着手。不動産処分し債務減額を図る。しかし購入ローンの残額が残る。個人再生を検討。しかし、離婚などの理由で月々の返済額が高額になる。自己破産に方針を変更。この間、人生の相談に乗ってくれる方が現れる。破産することに対する理解を求める。新伴侶予定者も理解を示し、今後の生活再建に協力してくれる事になる。破産申請。そして、本日の審尋の結果、「破産開始決定」並びに「同時廃止」。2月中旬免責審尋の予定となる。
 不動産の売却、転居、離婚、新しい協力者の出現。そして、お医者様もお子様を授かるのは難しい体質と話されていたのに、その子を授かる。彼女にとって、激動の2年半。無事出産され、家族三人で新しい出発が出来ることをただ念じる。仕事のやりがいをふと感じる時である。
 

本 –生きるこの意味–

高史明(コ・サミョン)「生きることの意味」を読み始めた。次の文章が書かれている。

かけがいのない人生 ー 人間はどんな人でも、この世界に生まれた瞬間、オギャーとたくましうぶ声をあげます。人の生命の輝きはどんなにやさしくたくましいものであるかは、このうぶ声のひびきにそのままあらわれているといえるでしょう。人間の、人としての歩みは、このすばらしいうぶ声のひびきとともにはじまります。

困難にぶっかったとき、人はそれを両親や友達に相談することが出来ます。両親や友人はたちは、そんなとき、きっととても親切に助けてくれるはずです。でも、その困難をほんとうに解決することができるのは、困難にぶつかった本人なのです。昔から、人は自分自身の人生を自分で切りひらき、死ぬときはたった一人で死んでいったといえます。ですから、いまかりにこの地球上に三十億人の人がいきているとしますと、ここには三十億人のかけがえない人生があるのです。

「ぼくは12歳」岡真史著の本が私の側にある。12歳で自死した高史明氏のご子息の本である。

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キリスト教での愛

 産経新聞、曽野綾子の「小さな親切大きなお世話」にキリスト教の愛について語っている。

 「その人のために死ぬるか」ということは、愛の本質を見極める一つの踏み絵だという。そして、愛は「好きである」という素朴な感情ほとんど無関係だという。キリスト教における愛というものは、むしろ自分の感情とは無関係に、人間としてなすべき態度を示すことだ、とされている。つまりその人を好きであろうがなかろうが、その人のためになることを理性ですることだと言う。

 キリスト教では「理性を伴う悲痛な愛」だけが唯一の本物の愛として認識される。親子、夫婦の間で自然に起こる感覚的好意や敬意や慕わしさが消えた段階から発生する義務的いたわや優しさや哀しさこそが、本当の愛だと考える。

 敵を愛し、友のために命を棄てることを自分に命じる理性を必要とする愛こそか、キリスト教での愛。

 私は、三浦綾子の塩狩峠を思いだした。理性に基づく愛をもつことは、祈りと生活の厳しさが求められると思う。人は、弱いものであるから、そこに祈りと規律が定められたのかもも知れない。曽野先生のこの話で、厳しい一つの愛を知った。

 そして先生は、「神」は、今私たちが相対峙している他人の中にいる言う。この言葉も重い。